おねんぶつ、なむあみだぶつ。

洞泉寺は浄土宗です。浄土宗祖法然上人の教えにお念仏があります。

お念仏とは、仏の名号「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)の名号を口に出して称えること(口称念仏・こうしょうねんぶつ)で仏を憶念(心に銘記して忘れず、常に想い続けること)することを意味し、念ずるということは声に出して「となえる」ということです。

法然上人は「なむあみだぶつ」と声に出してとなえるお念仏こそが、誰にでもできる、またすべての人々が救われる道であると確信されました。

「南無阿弥陀仏」の「南無」は帰依する、深く信じるというサンスクリット語の「ナマス」が語源で、仏教が中国に伝わった時に漢字にあてはめて「南無」となったといわれております。

阿弥陀は「アミターバ」(量り知れない無量光)「アミターユス」(量り知れない寿命)を漢字にあてたものと言われております。

「南無阿弥陀仏」とは「私は、無量光、無量寿という名の仏様におまかせいたします、帰依します」という意味になります。

阿弥陀様は、すべての人々をあまねく救い摂ろうと、四十八の願いを立て(本願)それを成就され「私の名を呼ぶものは必ず救い摂る」と誓われました。

お念仏は阿弥陀様からいただいた大慈悲であり、功徳であります。

その「南無阿弥陀仏」をとなえることにより、心豊かな日々を過ごせ、極楽往生がかなうということです。

お念仏は、いつでも、どこでも、誰にでもおとなえできます。声に出してお念仏を申し、阿弥陀様にすべてお任せし、お救いを願いましょう。

供養とはなんのため?だれのため?

供養とは?

供養とは、サンスクリット語「プージャナー」がもとになっているとされ、「尊敬」を意味する言葉だと言われています。
仏や菩薩などに対して行う供養と、
亡き方に行われる供養が一般的になっています。
いずれも尊敬の念から香華や飲食などの供物をささげる行為のことをいいます。

追善供養

現在世間広く行われているのが亡くなった人に対して供物をささげたり読経し冥福を祈ったりということを、追善供養と呼びます。
残された私たちが「追って善い行いを積んで」亡き方が報いを得られるように、と気持ちをささげます。
一般的に四十九日の法要や一周忌や三回忌などの年忌法要(年忌供養)に親族が集い僧侶に読経を上げてもらい、お供え物やお花をあげるといったことでしょう。

仏様ご先祖様以外も供養する?

仏様や亡くなった人に対しておこなうのが供養だと先述しましたが、供養はそれ以外の場合でも広くおこなわれています。
人間だけでなく動物に対しても供養はされています。大切にしていたペットが亡くなった場合には、お葬式やお墓を建てたりという人も増えています。
洞泉寺ではペットと一緒に入れるお墓もご用意しました。
家族同様にペットを可愛がる人が多くなっていることで要望も増えております。

物も供養する。

ペットだけでなく、物に対しても供養がおこなわれる事があります。
生活に密着した道具や物、使えなくなった物に感謝の意を込めて供養をすることがよく聞かれます。
人形供養、針供養、写真供養、野球のボール供養なども聞いたことがあります。

供養は感謝の気持ち

このように、供養は仏様や亡き方のみならず物などにも対して広く行われており、また幅広い分野で使われているのが特徴です。
いずれも根底にあるのは「尊敬」を意味するところから行われるものであり、仏様、ご先祖、物に至るまでありがたいという想いがあるわけです。
常に何事にも感謝の気持ちを忘れずにいたいものですね。